IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2015.2.12 File No.25>


パラダイス


小学生のころ、弟と二人で少年雑誌を見ながら、瀬戸内海には無人島が幾つも在る。
島に水さえ有れば魚を釣って、火は枯れ木をこすり合わせて摩擦で起こせるし
食事には事欠かない、と無人島で暮らす事を夢見た。

マッチ持参も20円貰って買っていた、ゴカイと呼ばれていた釣りの餌の事も、
話題とならなかったのが今思えば可笑しい。

その頃は二人で毎日の様に近くの海の堤防から魚釣りに通っていたころだ。

そんな海岸も久しく前に埋め立てられ臨海工業地帯と変貌しているが、
その頃見た夢は今も変わらず自分の中に生きている。




中学生の頃見た映画で印象深く残っているのに南太平洋というミュージカルが有る。

内容は覚えてないが兵隊が一時戦争忘れて南国の島で、
この世のパラダイスを味わうと言う子供向けではない
ハリウッド製のラブストーリーだったと思う。

ストーリー、映画としての出来は兎も角、ハリウッド製の架空のポリネシアの島のイメージに、
こんな所を地上のパラダイスと言うのだろう、どこに在るのだろうか、
と、人工的な島にだぶった自分のパラダイスを、以来ずっと探し求めていた。




初めて訪れたギリシャのスキアトス島で友人達と共同で借りた漁師の家で過ごした日々や、
以前ギリシャの島でヨット暮らしをしていて急死されたご主人の墓を
3年後に明け渡す必要が有って島に来た日本からの友人と、一緒に訪れたエギナ島。

この地で住む彼女の友人、英国人のジャーナリストの石壁の簡素な家で、
タイプライターとロウソクに寄る生活を垣間見て、矢張りある種の楽園暮らしを想像した。




そう、自分にとっての楽園は、山ではなく海がなければ成らない。

そして島が、出来ればヒッソリとした島でなければ成らない、と暗黙のうちに決めていた様だ。




1970年代後半、フランスで“エマニュエル”という映画が大ヒットした。

シルヴィア・クリステル演じる清純な主人公がタイに赴任になった亭主に会いに行き、
女としての性の歓びに開眼する、というお色気映画だが、ポルノ映画でなく、
奇麗なセンスある画面、女性一人でも見に行ける新しいタイプのエロチック映画として
数年間、ジョルジュ・ムスターキの歌と共にロングラン・ヒットした。

舞台と成ったタイがその頃からツーリストに注目され始め、
パリの街にもタイ・レストランがモテはやされ始めた。




80年代に入って初めてタイを訪れる機会に恵まれた。

石油関連エンジニアーとして世界各地で働き、定年退職してやっと自分の行きたい所に行ける、
と喜んだ友人ロベールに誘われて、旅行代理店で我々の旅を組んでもらった。

未だインターネットなど影も形も無い時代、飛行機の切符からホテル、現地でのアテンド、
全て代理店に依頼した3週間の旅を計画した。

以来、毎年一緒にタイに行くのが習慣と成ってしまった。

但し、滞在が3週間でなく徐々に伸びて3ヶ月、4ヶ月、ヴィザの関係で
3ヶ月以上は1回の入国では難しい。




当初5〜6年間は、ガイドブックを頼りにタイ国内を、毎回移動して見て回った。

古いお寺や昔の首都だった町や、色んな民族の住み着いている村、
などタイ本土のみならず、島も先ず誰もが知っている有名な島から徐々に、
ガイドブックには出ていない島へと、自分でトイレット・ペーパーから鏡、タオル、
懐中電灯迄持参せねばならぬ未開発の島迄回った。

地図で見たり知り合った旅人から聞いたりした知識をもとに、目的地を決めて
一番近くの大きな街迄出かけて更に近づく為の情報を得て、移動する。

更にそこから又、より近くへの情報得て、移動。

最終的には言葉が分からぬともちゃんと辿り着く。

使った交通手段は、飛行機、電車、長距離バスとありとあらゆる物だが小さい町では
トラックを改造した乗り合いタクシーや軽3輪のトクトク、モーターバイクの後ろの席、
自転車に2輪の座席をつけたものが主流と成るが、ワンステップごとに小刻みに目的地へと
近づいて行く。

船も定期便だけでなく、テール・ボートから漁船、モーターボート、
果てはチャーターした船迄使った。

さすがタイは観光国だと何度も驚いた。

日本で外国からの言葉の通じない旅行者が、名もない小さな島に果たしてこんなに簡単に
辿り着く事が出来るだろうかと訝しい。

バンコックのホテルは兎も角、一歩外の街に出ると共通語が無く不便するが、
同時に言葉の通じない所に居るエキゾチックな部分も魅力でもある。

言葉が通じなくとも、そして本心は分からずとも、穏やかな笑顔が返って来る。

すっかりタイに魅了されてしまった。




白い砂浜の珊瑚礁の海岸の島は、確かに水も透明で、海の色が何とも美しい。

薄いブルーからエメラルド色、真っ青な空とヤシの木の緑、赤いハイビスカスに香りよい白い花、
自然の織りなすカラー・コーディネイトに何度ため息付いか・・・

ハリウッド製の映画や、旅行代理店の夢見るような写真の海がそのままそこに有る。

但し、例外無く白い砂蚤(flea of sand)と呼ばれる蚤の一種が居て、
人に寄って違うが自分は必ず間違いなく刺されてしまう厄介な蚤だ。

これにやられたら腫れがひどいし、何週間、何ヶ月も治るのに時間が掛かる。

あっちこっちやられると、熱が出る事もある程で、タチが悪い。

私の楽園からは真っ先に除外される条件の一つだ。




太陽と海、ビーチ・パラソルは間違いなく絵に描いたバカンスの光景だが、
自分の楽園には大きな木が作る木陰が一番、人工的なビーチ・パラソルは必要ない。

モーターボートや水上スキー、水上パラシュートその他海のレジャーは
何も無い所を見つけるのは、観光客相手にしている島では、以外と簡単ではない。



タイは仏教国のイメージが強いし、確かに仏教国に違いないが、以外と知らない人が多いが、
回教徒の人達もマレーシアに近い南部には多い。

島によっては大半が回教徒という所もある。

3週間ずつ3年間通った島も回教徒の島で、何が、という具体的な説明は出来ないが、
何かが違和感を感じる。

目つきが仏教徒の人達と違い、厳しい目つきで笑顔も少ない。

といって、嫌な思いをさせられる事は無いのだが、仏教徒の人達との方が
自分には馴染み易く、安堵感を感じる。

好みの問題で、全く気にしない人も居るが、朝からモスケから拡声器で流される
コーランを聞くと、矢張り自分の持っているホンワリとした楽園のイメージではない。




楽園暮らしの日課の一つに、釣りの出来る事も条件に入れている。

奇麗な砂浜の海岸はそれだけで素晴らしい物だが、2週間滞在と違って
長期数カ月滞在となると砂浜だけ、というのは矢張り退屈する。

釣りにむいている岩場も海岸の一部にでも有れば、気がむけば釣り糸を垂らす事も出来る。

要するに、コレしかない、コレしか出来ない、でなく自分でしたい事を選んでその都度行動できる、
が性にあう。

大物は陸から釣るには期待しなくとも、せめて時々は小物でも釣れれば充分だ。

それに誰もが集まって来る砂浜の海岸と違い、岩場海岸は人も来なくて
静な自分のプライベート・ビーチと成り得る可能性もある。

是非、条件の一つに付け加えておきたい。




アムスで暮らしていてバカンスでタイに里帰りしている、というタイ人の青年と乗り合いバスで
同席した。

タイ人とは言葉の壁が厚く通常話すのは難しいが、アムスに住んでいる彼は英語が出来るので
これ幸いと島情報聞いたら、自分は行ってないが弟がチャン島という所に行って、
未だ十分開発されてなくワイルドな島で良かった、と話していたと言う。

話によるとプーケットについでタイで2番目に大きな島で、海洋国立公園になっているらしい。

チャン島のチャンというのは、タイ語で像を意味するとも教えられた。




期待とともにチャン島に行ってみる事になった。

バンコックの何時ものホテルの観光カウンターで問い合わせると、船に乗るトラットまで
ミニバスが毎日出ていて、翌朝、ホテルでピックアップしてくれる、というので早速予約を入れた。

いくつかのホテルでそれぞれお客さんをピックアップして、目的地に向う。

こういうきめ細やかな配慮が、旅行者には便利でさすが観光国と感心する。

尤も、もっと安上がりにと思えば、自分でバス乗り場迄出向いて公共バスに乗れば
カンボジア国境近くの300Kmの距離を考えられぬ程安く移動出来る。

予算に応じて交通、宿泊、上から下迄色々用意して、
各レベルの旅をする事が出来る様に受け入れ態勢を整えている。

今はシーズン中なら1日3便、バンコックからトラットまでバンコック・エアーが運行されて
正味45分のフライトで便利になっている。




船着き場のあるトラットの港で、目的地の島に行く船に乗るためミニバスの上客が各々別れて
移動開始だが、チャン島に行くのに果たしてどこからどの船に乗るか、何時に出るか?の表示が
全くない。

他の車で着いた人達とも合同して10人足らずがチャン島に行くことが分かり、
皆でどうのこうのとしていると、ある船からコ・チャンと叫ぶ声が聞こえた。

どうやらチャン島に行く船の船頭さんらしい。

小さな漁船を改造したような船だが、木板を敷いて作られた座席に皆が着席したら

それを合図に出航した。

1時間足らずの船旅で、どんな島かとワクワクしながら同時に着いてからどうなるのかと、
心配半分、期待半分の冒険がいよいよ開始だ。




無事島に着いて全員上陸。

でも、何も無い。

誰もいない。

勿論車は1台も見当たらない。

全員、不安が募る中、旅人達の中に去年一度島に来たというドイツの青年が一人居て、
皆の頼りを背に受けて、タクシーを待つより仕方ないと宥められた。

暫く後に1台のタクシーが通ったので、救われた、と全員で声張り上げて車を止めた。

タクシーと言ってもトラックの後ろを改造して向かい合わせにベンチを取り付けた物だが、
唯一の交通手段だ。

このタクシーは町の方には行かないが、他の車に連絡して迎えに来るようするから、
暫く待て、という事になった。

船着き場は島の北東に位置するが、海岸が在って宿泊施設の有るのは島の西側と
ドイツ人に教えられた。

地中海の多くの島は岩島で緑の無いのに比べて、この島は全体が低い山で覆われて、
緑濃く青々として着いた時の第一印象が良い。

待つ事1時間足らず、そろそろ日が暮れる頃に近づいたが、未だ明るい。

赤道に近いのでこの辺りは毎日6時10分頃日没する。




やっと着いたタクシーの屋根に皆の荷物を積んで、ヨーロッパ人ばかりだから
勿論女性を優先的に、年配の人から、と腰掛けると、結局自分と他の二人は後ろに立って
トラックの屋根に手をかけて、出発する事になった。

透けた台に立っている足元からは未だ完全には舗装されてないボコボコの道路が丸見えだ。

山道で振動も激しく、振り落とされぬよう必死で歯を食いしばって、屋根にかけた手を離さぬよう
頑張る事約40分。

やっと山から下りてきて、海岸線に着いた時に明かりの点いている風景の見えた時の安堵感は、
今でも思い出すと冷や汗物だが、昔も今も山道には変わりないが、
今はアスファルト舗装された島で唯一の奇麗なメイン道路にはなっている。




島の西側にはいくつかの海岸が在るが、一番開発されている、という最北の海岸、
ホワイト・サンド・ビーチで皆降りる事にした。

海岸沿いに当時は全てバンガローのリゾートがひしめき合っていて、何とか宿泊は出来そうで
ホッとした。

既に夕闇迫り贅沢も言っておれず、とりあえず今夜は真っ先に見たリゾートで1泊しようと決めて、
翌日からはいよいよ島の探検開始だ。

果たして今迄夢見てきた自分のパラダイスになり得る島かどうか、明日には見当はつけられそうだ。







Koh Chang le 5 Fevrier 2015
 

一森 育郎







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