IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜

<2009.1.15 File No.10>

フランス小咄

日本で友人たちと食事する場合は、殆ど外で、レストランへ食べに行く。
フランスでは勿論レストランにも行くが、人の家に呼ばれる機会も多い。
レストランで洒落た料理を食べるのも好きだが、我が家、または友人宅で
料理云々より、友人達とくつろいだ食事をするのも、これまた楽しい。

食事の場では、普通、仕事の話は勿論、政治と宗教の話は避けるように、と言われる。
気心の良く知れた友人のみの食事には、避ける話題もないだろうが、
初対面の人、まだ良く知らない人、の混ざった場では、
意見対立でお互い嫌な思いをする事の無いように、との配慮から来る。

特にパリなどの大都会は色んな人種が居るし、宗教も一般的なカトリックとは限らない。
政治に関しても、個人個人が自分の意見をちゃんと持っている人が多く、
討論のテーマとしては面白いが、気まずくなりかねない話題は食卓向きではない。
我の強いフランス人、人に譲ることなく、何処までも自分の意見を正しいと押し通すから時には
とんでもない思いをする事になりかねない。

食事が進んで、それぞれ皆がリラックスして、その場の雰囲気に溶け込んだ頃、
誰からともなく小咄大会となるケースがよくある。
俗に言うフランス小咄。洒落ているほど、より評価が高い。

レパートリーの多い人で、声色交えて、フランス語のナマリを入れて、
面白おかしく話せる芸達者の活躍の場だ。
我々観客は笑いこけて楽しませてもらえる。
不思議なことに、後からどんな話だったか考えても、この種の話はその場限りで
思い出さない。上手くした物で、何回聞いても笑えるのが面白い。

洒落たエッチな話や、生々しい話、色々あるが
どんな場でも、誰にでも、何時でも話せるテーマは、やはり馬鹿で頓馬な人の話。
テンポの遅いウスノロ馬鹿は、スイス人かベルギー人、と相場が決まっている。
偏屈者で堅物で、融通の利かないのはイギリス人。
生真面目で田舎くさいドイツ人、調子の良いのはイタリア人。
ご多分に漏れず、怠け者はコルシカ島、マルセイユが中心で、南フランス。
そして頓馬な主人公は、アントワーヌと言う名前が多い。

「アントワーヌ、かごに何を持っている?」
「当てたら一房上げるよ!」
「ブドウだ。」
「お前、何で分かった?」

景気が悪いのは何処も同じだが、何も仕事のないコルシカ島から、友人がフランス本土、
マルセイユに出稼ぎに行った。
「マルセイユは大都会。仕事は何処にでも転がっているよ!」
と、友人からアントワーヌに手紙が届いた。
早速アントワーヌも決心して、一番のフェリーでマルセイユに向かった。
旅は快調で、マルセイユに翌朝、無事着いた。
下船して第一歩踏み出したら・・・何と目の前に1ユーロ硬貨が一枚、
転がっているではないか!
一瞬考えたアントワーヌは、
「まだ今着いたばかり、すぐ働き始めることもあるまい。」と、そのまま歩いて行った。

フランスでは10歳ぐらいの頃、小学校3−4年生だが、学校でコントが流行するそうだ。
子供達の間で、色々披露しあって、教えあう時期が有るそうだ。
親から語り伝わる物や、時代を反映した新作、色々あるようだ。
もう10年余りなるが、田舎に遊びに来た当時の子供達から教わった話に:

軍隊に行く事になったアントワーヌに周りの大人たちが、
最初に行われる将軍との面接で、答えるべき事柄を教えている。
−名前は? 「アントワーヌ」
−歳は? 「16歳」
−間違いないか? 「ウイ、将軍!」
いよいよ入隊して、面接が始まった。
−歳は?  「アントワーヌ」
−名前は?  「16歳」
−お前は俺のことを馬鹿にしているのか?  「ウイ、将軍!」

からかい合う相手の名前と、アントワーヌを入れ替えて遊ぶ、他愛ない物だ。

パリの街はあらゆる人種、国籍の人が住んでいる、世界で、最もコスモポリタンな街だ。
公立の小学校でも色々な肌の子供達が、同じ教室で、極、当たり前に勉強している。
人種差別という問題は、色々余計なことを覚えた大人に成ってから生じる物で、
まだ無心の子供間では、大人からの影響ない限り関係ないようだ:

アメリカ人、アラブ人、フランス人の3人の男の子が、気球に乗っている。
突然下降し始めて、誰からともなく、軽くする必要ありと理解した。
アメリカの子供は、急にドル紙幣を投げ捨て始めた。
フランスの子が「お前何する!」と咎めたら、「僕の国に、一杯あるよ。」と言う。
アラブの子は、石油を撒き捨て始めた。
フランスの子が咎めたら、「ウチには一杯あるんだ。」と答える。
すると突然フランス人の子が、アラブの子供を投げ捨てようとする。
「お前、何するんだ?」「僕の国に、一杯居るよ!」と答えながら・・・

話してくれた子供に、学校でアラブの子はいないのか?と尋ねたら、
「居るけど、彼らともこの話するよ。誰も気にしてない。」との返事。

まだアメリカも活気あった頃の話だが、今ではどういう具合になるのか余りピンとこない。
アメリカ人でなく、ロシア人が3人の子供の一人かもしれない。
そのうち、年頃の子供に聞いてみたいと思う。

 

                       2009年1月12日

                                いくお



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