IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2015.3.10 File No.28>


本当の幸せ


宿泊先のリゾートは広い敷地でバンガローの数も多いに関わらず、客数が少ない。

元漁師の家族がやっているリゾートで、商売っ気が有るのかないのか、
特にリゾートの宣伝をどこかで見かける訳でなし、未だインターネットのない時代、
知らない人にその存在を知らせる方法が全くなく、我々の様に偶然現地で見つけて、
泊まりに来る客しか相手に出来ない。

反面、客同士は何しろ少ないので、話す機会には恵まれる。



我々のバンガローのある海側と、道路を挟んで山側の両方に同じリゾート経営の
バンガローが在ったが、山側は全て部屋とテラスのみでトイレ、シャワーは別棟で
共同に成っていた。
値段も手頃で若者が中心に泊まっていた。



山側のバンガローに10日程滞在していたベルリンから来た同じ年のクリスチャンと言うドイツ人と
朝食時や海岸で良く顔を合わせるので、何となく雑談する様になった。

アクセサリー・デザイナーとカメラマンという事で、彼曰く“アーティスト同志”で
距離感が近づいたのかも知れない。



2年続けてクリスチャンも同じリゾートに来たので、実際にはトータル精々20日程しか話す機会も
なかったけれど、後にフランスのメイエ村を訪ねて来たので
他の旅行者よりは彼を知る機会が多かった。



何度か夕飯を一緒にしたりする事もあって、打ち解けて色々話を聞けば良く有るケースだが
カメラマンとして自負してはいるが、仕事はプロとして出来ていない、出版社、スポンサーに対する
不満を延々と聞かされるハメに成った。

フランスでもそうだが、アーティストと言うのは一部の人々には聞こえが良いのか、
アーティストである事を強調するが、自分の才能を認めてくれない世間をやたらと批判する人に
逢う事が若い頃は良く有った。



お父さんは医者で、長男も医者。

実家の素晴らしい家の写真も見せてくれたが、
登山家だったお父さんは未だ彼が幼少の頃、山で事故死した。
余りにも子供だったからと、亡くなったお父さんの顔も見せてもらえなかった。

お母さんは医者になった兄貴を可愛がるが、自分の事は愛していない、と話す。
根本的には親の愛情に飢えていると解釈した。



2年目に来た折、離婚した兄貴の元奥さんだった人が矢張りチャン島に数日来て、
皆で夜毎一緒に食事をした事が有る。

頭脳明晰でチャーミングな彼女も既に再婚してミュンヘンに住んでいる精神科医だ。

"クリスチャンは悪い人間ではないけど、誰からも認めてもらえないと言うコンプレックスをずっと
持っていて、家族の中で黒いアヒルの子だ"と言っていた。



ロベールは年齢的にも彼の父親に近いからか、一緒に話すのを好み夕飯時に成ると
良く誘いに来て3人で食事する機会が多かった。

ドイツ人同士で仲良く成った、海岸にあるレストランとバンガロー経営するオーナーである
同年輩のドイツ人を紹介してくれたのも彼で、此処で食べたオーナー自ら焼く照り焼きにした
バラクダとドイツ風ポテトサラダが美味しくて、クリスチャンがチャン島での滞在終えて出発した
その後も、何度 も通う事に成った。

オーナーはタイ人と結婚していて小さい息子が一人居たが、奥さんが いくら働いて頑張っても
援助という事で、金を自分の家族に持って行くのに嫌気がさして、
数年後には会社を売って離婚してドイツに帰ってしまった。



クリスチャンがタイに来る目的は、ベルリンのウイーク・エンド・マーケットで、
彼曰くアーティスト・マーケットで、貝殻を売って生計立てているので
タイでいくつかの島を回って海岸で落ちている貝を自分で探したり、
店で買い付けたりする為で、クリスマス、新年の忙しい時期の後、
暇になる1月中旬から2月に掛けて来るのが一つの目的で、他方、健康の為。

殆ど体中、アトピー症状の皮膚病持ちで、医者からのすすめで
太陽と奇麗な海水が自然に皮膚病を治療してくれる、と言う話だ。

寒い時期は特にひどくなるらしい。
実際、着いて数日後にはだんだん奇麗になって来て、かゆみも緩んで来るそうだ。



3年目もチャン島で逢う事は逢ったが、バンガロー代の値上げで頭に来て
1泊だけしてリゾートと喧嘩別れのような形で出て行ってしまった。

バンコックから東に位置するチャン島に来るのに、方向的にも同じだから、と
途中下車してパタヤのマーケットでも貝殻を買って島に来る習慣だが、
今回は歓楽地パタヤで気に入った女性をバーで見つけて、貝だけでなく
別の買い物もしたそうだ。

タイは何でも金さえ出せば手に入る便利な国だ。

"自分の国ではもう何年も、女性に指を触れた事もなく今後も可能性無いが、
此処では30分も有れば充分、好きな女性を選り好み出来る有り難い国だ"と話したドイツの田舎の
おっさんが居た、と当時彼からも聞いた事が有る。



ホテルでいざ本番と成って洋服を脱いだ彼の身体を見て、その女性は拒否したらしく、
伝染病でもないのにと大いにプライドを傷つけられた様だ。

以前にも一度、リゾートでの朝食中、従業員に対して何が原因かは知らないが
えらい剣幕で怒っているのを見ているため、プライド高く、相手に寄っては
高い所から見下げる傾向にある彼の事、手に取る様に光景が想像出来る。

その後、バンガローの値上げで益々頭に来た様で、タイを思いっきり罵っていた。



以来逢う事はなくなった物の、たまにメールでのやり取りやFBでの近況から
タイにはその後来なくなり、フィリピンに衣替えした様だ。

矢張り今も貝殻を扱っているが同時にアクセサリーへも分野を広げて、貝で作った物や、
真珠のアクセサリーも扱う様に商売の巾を広げている。

FBでも時々、扱っている商品や自分の撮った写真を載せているが
必ず写真やアクセサリーの作者には自分の名前を記入する事は忘れていない。



数年前には、フィリッピン女性との間に息子が出来たと報告が有った。
65歳で初めてパパに成った喜びは何物にも代え難い事だと
彼に取っては人生最大のプレゼントらしい。

息子の事を溺愛している様子が、特に家族の愛情に飢えて育った彼には、
全ての愛情を息子に託しているのが手に取る様に分かる。

恐らく今ではアーティストである事より父親である事の方が、彼には大事な事であろう。
燃しそうであれば彼に取っては、本当の幸せを見つけたと言えるだろう。



息子が1歳半になった頃、彼女と息子を初めてベルリンに呼んで、入籍した。
子供は今ではドイツ語も分かり保育園に通っているそうだ。

奥さんには二人妹が居るが、二人ともドイツ人と一緒になりそれぞれ子供も出来たそうで、
息子に取ってはドイツに母方の従弟に当たるのが二人居るようだ。

父方の従兄に当たるのは余りにも年が離れているが、クリスチャンが結婚して
普通の人並みに家庭を持った事で、距離の有った兄家族とも以前よりは行き来が新たに始まって、
皆息子の事を可愛がってくれている、と連絡が来ている。



考えてみればタイで女性から侮辱され、心底傷つけられたお陰でタイと
見切りを付けてフィリピンに行くことになり、そのお陰で将来の伴侶と成る人と巡り会えて、
幸せな家庭を築く事になった訳で、何が待っているか分からない人生、
そんなに捨てた物ではないと思う。









2015年2月28日  チェンマイにて
 

一森 育郎







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